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40 文学作品の「痛み」

“心”にはじまり頭痛、痔と多彩

過去の文学作品を繙(ひもと)いて、当時の人たちがどのような痛みに悩み、痛みと対峙(たいじ)していたかについて考えてみよう。

古くは『万葉集』。「魂は朝夕に賜ふれど我が胸痛し恋の繁きに」とあるが、この場合の「痛み」は心持ちを表すものである。また、「いたく…」と、程度の甚だしい様の表現にも用いられているものの、この時代に、疵などの痛みに関する記述は見当たらない。しかし、言語学者は「文献的に見当たらないだけであって、口語として疵の痛みが先にあって当然である」と、万葉人も種々の痛みに苦しんでいたと分析している。

『源氏物語』になると、「風邪で頭が痛い」との記述がある、『夕顔』では、風邪をひいた光源氏が、天皇の使いに「頭いと痛くて苦しく侍れば、いと無礼にて」と言い訳をしている。

時は流れて、江戸時代。人々はこぞって入墨を入れた。谷崎潤一郎は『刺青』で、痛みを大きなテーマとして扱っている。若い刺青師清吉は、刺青のうちでも殊に痛いといわれる朱刺、ぼかしぼりを多用し、苦しむ客を足下にして「さぞお痛みでしょうなあ、と快さそうに笑っている」とある。

明治時代、漱石は『坊っちゃん』をすぐに痛がる人物として描いたが、漱石こそが痛みをはじめとするさまざまな症状に悩まされていたのである。鏡子夫人の頭痛と肩凝りも有名であり、彼の作品には多くの頭痛持ち(『三四郎』の美禰子、『それから』の代助、『門』の御米)が登場する。

芥川龍之介は片頭痛と痔(じ)の痛みに悩まされており、昭和二年発表の『歯車』では、「暫く歩いているうちに痔の痛みを感じ出した。それは僕には坐浴より外に癒すことの出来ない痛みだった」「ぢっと目をつぶったまま、烈しい頭痛をこらへてゐた」とある。芥川自身の経験だろう。

少しくだけて、川柳では「若殿の痔ははえぬきのかまいなり」「ご寮治のいぼじは寝飽く馬廻り」がある。痔を患っている人を皮肉ることは問題であるが、国民皆保険ならぬ国民皆痔疾といってよい程、痔に悩む人が多いわが国ならではの歌である。石川五右衛門ではないが、古今東西を問わず、「浜の真砂は尽きるとも、世に痛みの種はつきまじ」なのである。

(森本昌宏=近畿大麻酔科講師・祐斎堂森本クリニック医師)

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