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108 「今日無事」のために

病気がやさしい状態のうちに治療

少し古い話になるが、有事関連三法案が国会に提出された日の某新聞に「有事とは何だろうか」という問いかけとともに、「人々が心から願い、願ってもなかなか思い通りにならないのが無事である」とあった。老子の一節を引き「難しい事件はまだやさしい状態にあるうちに解決をはかるべきであり、大きい事件はそれがまだ細かいうちに納めるべきである」と続ける。病気だって同じだ。

私のクリニックの診察室には、故山口瞳氏の筆による「今日無事」との色紙を掛けている。無事のためには、病気がまだやさしい状態にあるうちに治療を開始すべきである。ペインクリニックの適応となる疾患も同様、慢性痛が作り出される仕組みを考えるならば、なおさらである。

解剖学者の養老孟司氏は『からだを読む』(ちくま新書)の中で「私が人体を論じるのは、単にそれが、われわれ自身であるからに過ぎないのである。外からであれ中からであれ、自分自身を正面から見られない『文明』など、いずれ滅びるに決まっているのではないか」と述べている。

しかし、健康でいるときに、自身、特に体のことを意識する機会は案外少ない。逆に痛みのために改めて体を意識させられることの方が多いのではないだろうか。日常的に胃の存在に気付いている方はまずいないが、胃がしくしくと痛み出して初めてその存在を意識するのである。また、それが極めて個別的な体験であり、共有できないからこそ、他人の痛みを理解しようとする姿勢をもつことができるのではないだろうか。お互いが自身の痛みを知っているからこそ、良好な対人関係を築ける、ともいえる。

一方で、痛みには正面から対峙すべきでないことは以前に述べた。意識を痛みに集中することでさらなる痛みを作り出してしまうことだってあるのだ。うーん、対人関係と同様、痛みとの付き合いは難しいのである。

―確かに痛みは引き裂くが、それは分かつことで、同時にすべてを自分へと引きつけ、自分へと結集する― ハイデガー

(森本昌宏=近畿大麻酔科講師・祐斎堂森本クリニック医師)

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